私はまだ生きている (ガザの戦争日記)

ラシャのガザ戦争日記 – 私はまだ生きている

7月21日



戦争が始まって13日目になる今日の午後もこの日記を書く。
地上侵攻がはじまってから48時間以上がたった。
ここ2日間はこの戦争が始まってから最もひどい状況だ。
そして今夜は10秒おきに戦車からの砲撃が聞こえる。
イスラエル軍は「グリーンライン」(イスラエルとガザの境界。1949年の停戦ライン)
から500メートル内側まではまだ来ていないようだ。
しかし遠くから一般市民とその家を砲撃しつづけている。
地上侵攻が始まって以降、死者数は150人から500人までに一気に跳ね上がり、
負傷者は3000人以上に上る。死傷者の数は分刻みで増えているのだ。

今夜もイスラエル軍の攻撃は野放図に続いている。
国境近く、とくにガザ市の東側に住んでいる人々の命が
イスラエル軍の攻撃により次々に失われている。
国際赤十字委員会が必要な地域すべてに救急車や救急隊員を送るのは不可能だ。
激しい砲撃がずっとつづいているから。ガザの東部地区からのSOSに対して、
赤十字の電話は話し中でつながらず、救急車が爆撃のために
その地域に入れない。緊急電話は死者と負傷者の名を告げていて、
道路は血の色で染まっている。その映像や写真をあとになって私は見るだろう。

身元不詳の女性、子ども、高齢者が逃げているシャジャイヤ地区の映像で
ガザの夜が明けた。何百もの家庭がガザ中心部へ、国連の学校へと避難をしている。
その学校施設はすでに飽和状態だ。

彼らは持ち物をすべて残して来ざるを得なかった。
裸足で、叫び、泣きながら逃げてきた。
障がい者や高齢者の車いすを必死に押している人もいた。

シャジャイヤ大量虐殺のある生存者は言う:
「激しい砲撃は大量で断続的だった!とにかく家を出て必死に逃げてきた。
そして走りに走り続けて、、、その時誰かが転んだ!でも振り返ることはできなかった。
とにかく走り続けた。それからもう一人が転んだ、でも私たちは走り続けた。
ガザ市の『安全』といわれる場所にたどり着いた時、最初の50人が12人になっていた。」

アルジャジーラの現場記者はあまりのショックで、中継を続けられなくなってしまった。
医師と看護師はこんな常軌を逸した状態でもプレッシャーと戦いながら懸命に働き続けている。
目の前で起こっていることが本当に信じられない。
もっと信じられないのは国際社会が未だに黙っていること。
国際社会がぐずぐずしているうちに、この惨劇は新たなレベルのカタストロフィーに突入している。

戦いはますます激しさを増している。ハマスの軍事部門である「アル・カセム大隊」によると、
34人以上のイスラエル兵士が殺され、その他多数が負傷し、いくつかの戦車は爆撃されたという。
アル・カセム大隊は、オンライン上に破壊された戦車の画像をいくつも載せている。
イスラエル側は兵士が5人亡くなったと発表している。
イスラエルはすでに国際的に報道されたこと以外は公式に発表しない。
地上侵攻が始まって以降、閃光弾が夜のガザを日中のように照らし続けている。
しかし、私たちの生活は暗闇に支配されている。

みなさん、ガザでの血なまぐさい戦争の一晩の出来事だけでも読んでもらえませんか?
毎日終わりのない暴力が続いている。市民の保護に関する国際条約は犯され続けている。
世界はこれについてどう思っているのだろう?
国際社会は本当にどこへいったのだ?
このガザの状態を理解し、この戦争犯罪を止めるには、人権専門家である必要はない。
ましてやガザの政治を理解する必要もない。
この状況を理解するのに、アラブ人やイスラム教徒である必要もない。
一人の人間であればいい。今ガザで続いている戦争犯罪は、人間性を試しているのだと私は思う。
あなたが一人の人間であるなら、ガザへの行為は大量殺戮・虐殺というのがわかるはずだ。
それでも、「イスラエルの自衛行為」というのだろうか。

2014.07.24 | | 2014ガザ

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