誰が勝者なのか?(ウリ・アヴネリ翁のコラム翻訳)


ウリ・アヴネリのコラム

勝者はだれか?   2014年7月19日

ウリ・アヴネリ
  
(ウリ・アヴネリ翁は、イスラエルの平和運動の長老。元国会議員。90歳を過ぎてなお毎週コラムを執筆している。)

今回のイスラエル軍によるガザ侵攻を、
その作戦名「頑丈な崖Solid Cliff」(別名 防御の刃Protective Edge)の
表現スタイルにならって書き記すと、歴史の中ではどんな風に見えてくることだろうか?

たとえば、「ウィンストン・チャーチルは悪漢だ」となる。

5年間にわたって、チャーチルは、ロンドン市民をドイツ空軍の仮借なき爆撃の下に曝し続けた。
彼はロンドンの住民を彼のクレージーな戦争のため「人間の盾」として使ったことになる。
市民は爆弾とロケットに、「鉄のドーム」と呼ばれる、今のイスラエルの地対空ミサイル防御システムの
守りもなく、さらされ続けたのに、チャーチルはダウニング街10番地の彼の地下壕の中に隠れ通した。

彼は、すべてのロンドン市民を人質として利用した。
ドイツの指導者が、寛大な和平提案をしたにも拘わらず、
彼はクレージーにもイデオロギー的な理由からそれを拒んだ。
というわけで、彼はイギリス国民を、想像もつかないほどの苦難に陥れたということになる。

時々チャーチルは彼の地下のアジトから地上に現れ、廃墟の前で自分の写真を撮らせた。
撮影が終わると、またいつもの「ネズミの穴」に戻っていくのだった。
にもかかわらず、彼はロンドン市民にこう語った、
「将来の世代の人びとは、これが皆さんにとって最良の時だったと讃えることでしょう!」

ドイツ空軍は、ロンドン市を爆撃し続けるほかに選択肢がなかった。
彼らの司令官は、作戦会議が開かれている英国軍人の家などの軍事目標を攻撃しているだけだ、と表明していた。

ドイツ空軍は、ロンドン市民に対して市内から退避するように呼びかけた。
実際、多くの子どもたちは避難した。
しかし、ほとんどのロンドン住民はチャーチルの、市内に留まるようにとの求めに耳を傾け、
甘んじて「巻き添え被害」(collateral damage)の運命に身を委ねた。

ドイツの最高司令部は、ロンドン市民の家々の破壊と彼らの家族の殺傷が、
人びとを立ち上がらせ、チャーチルをお払い箱にし、
彼の戦争好きな一党を雲散霧消させてくれると期待した。

粗野なロンドン人は、ドイツ人を憎むあまり、理屈を忘れ、意地になって
臆病者のチャーチルの指示に従った。彼への尊崇の念は日々、人びとの間で高まり、
戦争の終るまでには彼はほとんど神に等しい存在となった。

彼の銅像は今もウエストミンスターにある議会の前に立っている。

4年が経って、歴史の歯車は回った。
今度は英国とアメリカの連合空軍が、ドイツの都市を爆撃し、完全に破壊した。
石の上に残る石が一つもないほどだった。
往時栄光に輝いた宮殿はまっ平にされ、文化遺産も消滅した。
「無辜の市民」は、粉々に吹き飛ばされ、熱傷死を遂げ、あるいは、単に蒸発した。
ヨーロッパでもっとも美しい都市のひとつとされたドレスデンも、数時間に及ぶ火炎の嵐で完全に破壊され尽くした。

この爆撃の真の狙いは、ドイツ市民を恐怖に陥れ、彼らの指導者を取り除かせ、降伏に導くことだった。
しかし、それは起きなかった。本当のところ、ヒットラーに対する、
唯一の反抗は軍の上官たちによって起こされ、失敗に終わった。
ドイツ市民は立ち上がろうとしなかった。それどころか、「テロリスト・パイロット」への非難として、
ゲッベルスは、こう言明している。
「奴らは我々の家々を破壊することはできても、我々の精神を壊すことはできない」

ドイツは、最後の最後まで降伏しなかった。数百万トンという爆弾も十分ではなかった。
爆弾は反って人びとの士気と総統への忠誠を強めることになった。

そしてガザについても同じことが言える。

皆が今回はどちらが勝つことになるのかと、問うている。

この問いにも、ユダヤ人的に答えねばならない、もう一つの問いが付随してくるが。

古典的な意味での勝利の定義では、戦場に留まり得たものが、戦いを制したことになる。
しかし、ここガザでは、誰も動こうとはしない。ハマスも依然とどまっているし、イスラエルもそうだ。

カール・フォン・クラウゼヴィッツというプロイセンの戦争理論家の
「戦争は、他の手段による政治の継続にほかならない」という言葉は有名だが、
このガザ戦争では、戦いの両者とも明確な政治的目的を有していない。
そこで、勝利はクラウゼヴィッツ流に判断することができない。

ガザへの集中的な爆撃は、ハマスの降伏をもたらさなかった。
一方で、ハマスによるロケット(ミサイル)攻撃は
イスラエルのほとんど全土に及んだが、成功はしなかった。
ロケット攻撃がイスラエルのどこにでも到達したという意味での驚くべき成功は、
それと対になった、イスラエル側の「鉄のドーム」と呼ばれる地対空ミサイル網の驚く成功によって阻止された。
 
そこで、これまでのところ、勝負は五分五分と言える。

しかし、ちっぽけな領土のちっぽけな戦闘集団が、
世界でも最強の軍隊の一つに挑んで五分五分の勝負にもちこめたというなら、
それは勝利と考えることもできる。

イスラエル側の政治的な目標の欠如は、混乱した思考の結果とも言える。
イスラエルの指導層は、政治的層も軍事的層も、ハマスをどのように扱えばよいのか、
本当のところ、分からなくなっている。

すでに、多くの人が忘れているかもしれないことだが、
ハマスはもともとイスラエルが創りだしたものだった。
67年戦争による軍事占領の後、西岸とガザでのいかなる政治活動も
残虐に弾圧されていた最初の数年間、パレスチナ人が集まり、みずからを組織できた場所はモスクだけだった。

その時期、ファタハ(パレスチナの政党、PLO内の最大勢力)は
イスラエルにとって一番の敵だった。
イスラエル指導層は、ヤーセル・アラファトをテロリストの親玉として、悪魔扱いしていた。
アラファトを憎んでいた当時のイスラム原理主義者は、
イスラエルにとって、よりましな悪漢であり、秘密裡の同盟者とすら言えた。

以前に私は、Shin Bet(イスラエル安全保障局)の長官に、
彼の組織がハマスを作ったのではないかと尋ねたことがある。
彼の答は、「我々が彼らを作ったのではない。我々は彼らを許容したのだ」というものだった。

このイスラエルとハマスの関係は、第一次インティファーダ(1987年)が始まった1年後に、
アフマド・ヤシーン師が逮捕されたことによってすっかり変わってしまった。
これ以降、現実は180度ひっくり返った。
ファタハは、安全保障の面からは、今やイスラエルの同盟者であり、
ハマスはもっとも恐るべきテロリスト集団ということになった。

しかし、これは真実だろうか?

イスラエルの当局者の中には、ハマスが存在しなかったとすれば、
それをひねり出さねばならなかっただろう、と言う者がいる。
ハマスはガザをコントロールしている。そこで起きるすべてのことに、
彼らが責任を負わねばならない。ハマスは法と秩序をもたらしている。
停戦ということに関して、ハマスはイスラエルにとって信頼できるパートナーだ。

前回のパレスチナ立法評議会選挙(2006年)は、国際監視のもとで行われ、
西岸でもガザでも、ハマスの勝利に終わった。
ハマスがその結果を否定され、政権を担うことを許されなくなったとき、
彼らはガザでそれを武力に訴えて実行した。
信頼できる情報を総合すれば、彼らはガザの大多数の住民から信頼されていると言えるだろう。

イスラエルのすべての事情通が合意していることは、
もしガザのハマス体制が崩れれば、もっと過激な分派が権力を簒奪し、
ガザと180万人の住民を、完全なカオスに追い込んでしまうだろうということである。
イスラエル軍の専門家もそのことだけは望んでいない。

それゆえ、戦争の目的は、もし、もったいをつけて言うなら、
ハマスをうんと弱らせた状態で、権力の地位にとどめておくということになる。

しかし、一体全体、そんなことがどうやって成し得るだろう?

一つのやり方は、と政府内の極右の連中はいま要求している、ガザ全体をまた占領することだ、と。

それに対し、軍の指導者は再び質問を投げかける:それでどうなるというのかね?_

新たにガザを恒久的に占領することは、軍にとって悪夢だと言ってよい。
再占領は、イスラエルが、180万人の住民を平定し、
食わせてやることの責任を負うということだ。
この180万人の大多数は、1948年の戦争の結果難民となった人たちとその子孫なのだ。
永遠に続くゲリラ戦争が起きることだろう。イスラエルのだれもがそれを望んではいない。

占領して、その後去る? そんな虫のよいことはできない。
占領すること自体が、血腥い作戦となる。
もし、「溶けた鉛」(2008年12月から09年1月にわたるイスラエルのガザ侵攻作戦。
千数百名のパレスチナ人が殺害された)のドクトリンがまた採用されるなら、
千人から数千人のパレスチナ人が再び殺されることになるだろう。
この不文律のドクトリンでは、一人のイスラエル兵士の命を救うため、
百人のパレスチナ人を殺害しなければならないとしても、それは結構ということである。
しかし、もし、イスラエル軍の死者が数十名に増えることになったら、
それだけで、国内のムードは激変するだろう。軍もそれほどのリスクは冒したくないのだ。

7月15日の火曜日には、しばしの間、停戦が成り立ったかと思え、
ベンヤミン・ネタニヤフとと彼の将軍たちはすこしほっとした。

しかし、これも幻視だったことになる。なにしろ仲介者はエジプトの独裁者で、
世界中のイスラム原理主義者から憎悪されている人間だ。
彼は何百何千のムスリム同胞団員を、殺害し、投獄した。
彼はイスラエルの軍事同盟者であることを大ぴらにしている。
そしてアメリカの惜しみない援助の受け手でもある。
さらに、ハマスがエジプトのムスリム同胞団から出た派生物である以上、
アブデル・ファタ・シシ将軍は、真底ハマスを憎んでおり、そのことを隠してもいない。

そこで、シシ将軍はハマスと交渉する代わりに、恐ろしく愚かなことをした。
ハマスとは何の相談もせず、イスラエルの言う条件で停戦を押し付けてきた。
ハマスの指導者は、直接知らされたのではなく、メディアから停戦案を教えられたのだ。
当然彼らは、即座に停戦案を拒否した。

私の意見は、イスラエル軍とハマスが直接交渉すればよかったのだ、ということになる。
軍事史を通して、停戦は敵対する軍司令官どうしで交わされるものだった。
一方が白旗を立てた使者を、相手側の指令官に送り、
そこで停戦が成立したり、しなかったりするものだ。
(前世界大戦のとき、アメリカ将軍が、使者のドイツ人将校を「狂人」呼ばわりした有名な話が残っているが)

1948年の戦争では、前線の私自身が従軍した方面では、短い停戦が、
イェルチャム・コーエン少佐と当時まだ若かったエジプト側の将校、ガマル・アブドル・ナセルの間で交わされた。

このような停戦の方法が、目下の敵対者どうしの間では実現困難な以上、
真に誠実な仲介者が見い出される必要がある。

それができない中で、ネタニヤフは、彼の同僚やライバルから、
ガザに軍を送るよう逆らい難い圧力を受けた。
少なくとも、ハマスが国境のフェンス沿いに掘ったトンネルを発見し、
完全に破壊し、入植地への奇襲攻撃を行えないようにすることを求められている。

これらのことすべてどう終わるのだろうか? 
終わりはない、いつまでたっても、繰り返し繰り返し、同じことが起きる。
もし政治的な解決が図られないならば。

そこでやるべきこととは、ロケット攻撃も爆弾も双方がやめろ、
イスラエルによるガザの封鎖を解け、ガザの人々が普通に暮らせるようにしろ、
パレスチナ人同士の結束を真の統一政府のもとで進めろ、
真剣な平和交渉を行え、平和を創れ、ということに尽きる。  (本田徹訳)

*このコラムの最初の部分は7月16日(水曜日)発行のイスラエルの全国紙ハーレッツに掲載された。


2014.07.21 | | 2014ガザ

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