パレスチナ戦争日記 

何人かのガザ市民の声をお伝えしています。
この戦争日記は、若い女性が書いているものです。

パレスチナ・ガザ  2014年7月10日

人生でこれほど生きた心地のしない体験をしたことはなかった。

午後、家を揺さぶるような爆発が起こったあと、一本の電話がかかってきた。
妹からだった。とぎれとぎれに、「イスラエルの空爆が・・近所・・・家を脱出して
・・・・全壊・・・・」そして電話が切れた。私と家族は真っ青になった。

何度もかけなおそうとしたが、まったくつながらない。
父と兄は妹家族を迎えに行くため、無人の道を車を飛ばして妹の家に向かった。
その間も雷のような爆音が鳴りやまない。ものすごく怖くなった。
心臓の高鳴りがすごくなり、全世界に聞こえるんじゃないかと思ったほどだ。
そして心は閉ざされていくのがわかった。自分の精神が完全に破たんしそうになりながらも、
母の気を休めようとした。
この時ばかりは自分に超越した力があり、イスラエル軍の戦艦、戦闘機、戦車を
ガザから追い出すことができたらと本当に思った。

妹の電話から、彼女と子どもたちが家のドアから入ってくるまでの20分間は、
人生で一番怖い時間だった。姪たちが私に近寄り、私の懐に隠れこむように抱きしめてくれたが、
この子達は、私も彼女たちと同じように脆く力がないことをきっと知らないだろう。

今後の見通しが立つまで、妹家族は私たちの家に住むことになった。
妹は近所の人たちがどんなに泣き叫んで避難してきたかを話してくれた。
近所のある家に、イスラエルのアパッチヘリコプターが、
「F16戦闘機がその地区近辺を数分のうちに爆撃する」との警告をした。

避難するのに十分な時間があるときもあるが、多くの人はそんな時間は与えられない。
幸い妹と彼女の夫はものすごい勢いで子どもたちを連れて階段を下り、
爆撃や破壊された建物の破片から身を守ることできた。

初回の警告からたった6分後の出来事だ。向かい側の家は爆撃を直接受け、
女性の叫び声や子どもの鳴き声が響き渡った。
その家は全壊しその周辺の家々は部分的に破損した。

甥や姪たちをみていると、こういう体験が彼らの心理的にどういう影響を及ぼしているのだろうと
心配になる。すべての子どもたち、女性、そのその他人々がこの苦難に満ちた戦争の中で
どうやってすごしているのだろう。以前のガザに対する攻撃でトラウマを抱えた子どものために
仕事をしたことがあるが、そのような子どもたちへの対応はすごく複雑で繊細さが必要なのだ。

昨日は全く眠れなかった。騒音だけでなく、ニュースを追っていて心配が増えたからだと思う。
毎回爆音を聞くたびに、私は自動的に跳ね上がりフェイスブックをチェックしたり、
ラジオの電源をいれたりする。

イスラム教徒にとって神聖なるラマダン月の最中なので、私はいつものように夜明けの直前に食事をとり、
16時間の断食に備えている。その断食の時間帯はものを食べることもの水を飲むことも許されない。

日中2、3時間寝ることはできたが、すぐに起きて最新のニュースをチェックした。
イスラエル海軍は海上から名前を聞いたこともない場所を砲撃している。犠牲者は分刻みで増えている。
ニュースは、イスラエル空軍や海軍が民家、モスク、女性、子どもを標的に砲撃しているとさかんに流している。
イスラエル軍は救急車、救急隊員や報道関係者までも標的にしている。

これって狂気ではないだろうか?人道法、国際法ってどこに行ったの?
ジュネーブ条約ってなんのためにできたの?使われないために?
国連と呼ばれている機関はどこにいるの?国連はパレスチナ人が苦しみつづけるためにできたもの?
国連はこのような侵攻や攻撃にさらされているときもパレスチナの一般市民を守ってくれないのだ。
国際社会、恥を知れ!国連機関、恥を知れ!

ガザの主要病院であるシファア病院のニュースが耳に入る。
患者でごった返していて明らかに許容量オーバーだそうだ。
隣国エジプトに対しては、重傷を負った病人のみ避難できるようにラファ検問所を開けてほしいと要請がされた。
この緊急な要請にも関わらず、ラファの検問所は閉ざされたままだ。
うわさによれば、イスラエル政府高官がこのガザに対する攻撃はエジプト当局と事前に調整して
合意の上で行われている、と公言しているようだ。
「ハマスをガザから追い出す」というお互いの利益が一致するからだ。
隣国と調整して、女性や子どもを含む一般市民の殺害を容認する・・・・何ておぞましいことだ。

さあ今日の断食を終える時間。でも今は停電。最近は毎日8時間しか電気が通ってない。
そういう状態が数カ月、いや数年続いているだろう。でも覚えてない。
それでも、私の家には発電機があり、電灯少しとWi-Fiも使用できる。
ガザ中の多くの人々が暗闇に飲み込まれている中、少なくとも私たちはこの燃えるように熱い夏に
扇風機をつけることができるのだ。

お祈りの呼びかけがモスクから始まる直前に、妹は義理の両親に電話をした。
彼らは、壊れた家の見通しが立ったのでそのまま家に残るといって聞かなかった。
自分たちは安全な状態にあるということを念押していて、今日はキリスト教徒である近所の友人が
断食明けの食事を用意してくれている、と報告したそうだ。
ガザの社会では私たちはみな敵意なんか持っていない。宗教の違いに関わらずお互いを励ましあっているのだ。

また悲しい知らせを聞いた。友人の叔父といとこが亡くなった。彼らは一般市民だ。
彼らは丸腰で所有していた畑の木を見に行ったときに、戦火に巻き込まれてしまったのだ。
畑はガザの中心部にある。近くにいたイスラエル軍のヘリが発射した警告砲に気づかなかったようだ。
そしてまもなく彼らは亡くなった。
彼らには家族が、子どもが、それぞれの生活が、そして愛した人たちがいた。
戦争の二日目に起こったすべての出来事で私の胸は一日中ずっと締め付けられていた。

これが2日目の終わり。え?3日目がもう始まっている?もう何だかわからない。
時間の感覚を失ってしまったから。時間が過ぎてゆき、爆撃が続き、無人偵察機が空を駆け巡り、
そして私たちはこの瞬間まではとにかく生きている。
今までにこの戦争で450発もの爆弾がガザに落とされ、55戸の家屋が破壊された。
緊急救助隊員によれば死者は58人に上り、負傷者は488人以上だそうだ。

正確な数字や統計はどこにもない。
しかし殺された人1人1人には名前があり、生活があり、愛する人がいて、そして夢を持っていた。
地球上のどんな法律がこのような仕打ちを許しているんだろう?

この長かった一日の後、私には睡眠を取って疲弊した心と体を休めることが必要だ。
緊急事態に備えてきちんとした服を着て、重要な書類全部を鞄につめて
いつでも動ける準備をしておかなければいけない。
「明日は少しは良くなる」という希望で私の二日目は幕を閉じた。

2014.07.10 | | 2014ガザ

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