パレスチナ分割決議から66年

マレーさんとアイサンさん

11月29日は、国連パレスチナ連帯デーです。
1947年のこの日、国連は「パレスチナ分割決議」を採択しました。
しかしその結果、多くのパレスチナ人が難民となることになったのです。
66年たった今日でもパレスチナ難民は故郷に帰ることができず、
約500万人が中東各地で厳しい生活を送っています。
また最近ではシリアに住んでいた人たちが再び難民として
主にレバノンに逃げてきている状況があります。

世界の難民の4人に1人がパレスチナ人です。
この問題の解決なしでは中東と世界の平和は達成できません。

<10日間のはずが>
レバノンの難民キャンプで出会った二人の男性。
マレーさんは81歳。旧パレスチナのルビアに生まれました。
アイサンさんは1歳年下で同じ学校に通いとても仲良くしていました。
1948年突然「10日間だけ避難するように」と言われ、
別れの挨拶を言う間もなく離ればなれになりました。

マレーさんは、家族と一緒に徒歩で夜通し歩き続け、
レバノンのジュベイルにたどり着き、
45日後シリアのダマスカスへと避難。
アイサンさんは家と倉庫の鍵をかけ、
両親と一緒にレバノンのバールバックに移住しました。

しかし10日間のはずが、いつまで経ってもパレスチナに帰ることができず、
お互い遠く離れて暮らすことになってしまったのです。

<一通の手紙>
1960年、ダマスカスに住むマレーさんの元に一通の手紙が届きました。
アイサンがやってくるというのです。
12年ぶりの邂逅に話は尽きることがありませんでしたが、
アイサンさんは4日後にレバノンに帰らなければなりませんでした。

<再び難民に>
それから長い年月が経ち、マレーさんはシリアのヤルムーク難民キャンプで
建設の仕事で成功をおさめ、2回の結婚を経て15人の子どもを持ちとても幸せに暮らしていました。
シリアでは、パレスチナ人はほとんどシリア人と同じような権利を与えられていたというのです。

ところが今年になり戦況が悪化し、マレーさん一家はたくさんの知り合いが住んでいる
レバノンの難民キャンプに避難することにしました。
16歳で故郷パレスチナを追われ、80歳にして生活を築いた第二の故郷シリアからも追われ、
再び難民となることを余儀なくされたのです。

大家族を連れて10か月前に避難してきて以来、マレーさんは、
多くの時間をアイサンさんと共に過ごしています。
一緒にモスクに行き、互いに励ましあい、時に助言しあいます。
レバノンではシリアと違ってパレスチナ人には多くの差別があり、
難民キャンプの劣悪な生活環境にマレーさんたちはショックを受けているからです。

<家の鍵>
80歳を超えても、パレスチナに関する記憶は少しも衰えることはありません。
マレーさんは言います。「今、故郷ルビアに突然、帰れるようになったとしても、
わしは絶対に自分の家の場所がわかる。あの家、あの木、あの牧場、あの道、
全部、はっきりと覚えている」と。

アイサンさんは、パレスチナを追われた時にかけた家と倉庫の鍵、
それにパレスチナの当時のコインを今でも大切に家にしまっています。
両親からどんなことがあっても持ち続けるようにと言われ、
それ以来ずっと大切に守ってきました。倉庫の鍵は錆びていましたが、
家の鍵はしっかりとしており、長い年月を経てもなお、
いつか家に帰ってドアを開ける時を待ちわびているようでした。

テーマ:NPO - ジャンル:福祉・ボランティア

2013.11.29 | | 2013レバノン・シリア

«  | ホーム |  »