ガザ訪問報告

ガザ訪問団の一人、当会本田理事による報告です。 
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7年ぶりに今日2014年10月12日から、パレスチナ子どものキャンペーン(CCP)事務局長田中好子さん、同エルサレム事務所の手島さんと一緒にパレスチナを訪問しています。1日目からガザに入りました。今回小生の訪問は、同NGOの理事として、医療関係の被害状況の視察などを目的としています。
ガザでCCPが支援している農業や母子支援事業の細かい報告は、田中さん手島さんが、CCPのホームページなどで近くしてくださると思いますが、訪問中私がふと気づいたこと、心を打たれたことを、写真を交えた短い言葉でお伝えします。

シュジェィアは、帯(ストリップ)と称される、ガザの北東に位置する地域ですが、今回イスラエル兵15名がハマスとの激しい戦闘の末犠牲になったことから、軍による無差別の爆弾攻撃やブルドーザーによって300世帯が破壊されたところです。視界の360度を見渡し壊されていない家、建物はないという感じになっています。

1) この写真は民家の1枚ですが、車いすが壊れた建物からぶら下がっているのが確認できます。この家に住んでいた、車いすのお年寄りか障害を持つ人はどうなったのだろうかと、心を痛めました。
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2) やはりシュジェイアの1枚。イスラエルの兵が侵入し、屋内をめちゃくちゃにされ、壁も弾丸で穴だらけにされ、ひどい落書きまでされた家の狭い庭に、一本だけ、かろうじて生き残った、痩せたオリーブの木。すこしですが、立派にオリーブの実をつけていました。硝煙と砂埃を浴びて白く煤けた、けなげなオリーブよ、がんばれ!
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3) シュジェイアの破壊しつくされた一画の通りの角に一本だけ水を出す水道栓。人々の乾いた喉を潤している。
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4) 住む家がなくなっても屈託なく笑う子どもたち。
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5) 廃墟の空を覆う美しい雲。
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2014.10.16 | | 2014ガザ

ガザNGOからの支援要請

ガザNGOからの支援要請

ガザの現地NGOであるCFTAからのメッセージをお伝えします。
CFTAとパレスチナ子どものキャンペーンは、2005年にハンユニスで
「ナワール児童館」を開設し、いまも運営しています。
パレスチナ子どものキャンペーンでは、CFTAのアピールに応えて、
物資配布などが継続できるよう、資金面での協力をしています。
ぜひ皆様のご協力をお願いします。

ガザ・CFTAからの緊急アピール 2014年7月28日

保健省によると、7月7日にガザでの軍事侵攻が始まってから7月27日1時20分までに、
イスラエル軍によって1049人のパレスチナ人が殺されました。うち、
こども218人、女性87人、高齢者48人、民間人男性696人、障がい者4人です。
国連人道問題調整事務所(以下UN-OCHA)は死者の73%が民間人だと報告しています。
負傷者6,000人以上、うちこども1854人、女性1187人、高齢者305人、民間人男性2654人です。
3,600棟以上が破壊され、177,000人が住んでいた家や地域からの避難を余儀なくされています。
報告によると約150,000人が国連の85の学校にいて、26,000人が公立の学校など
避難する場所を求めています。また、1000人がガザ市内のキリスト教の教会に避難し、
何万ものが親戚や友人宅、地域の集会所、倉庫、モスク、オフィス、草の根団体などに避難しています。
避難する場所のあてが見つからない人は、シファ病院の敷地など比較的“安全”と言われる
地域の路上に野宿しているのです。この誰もが家にすぐに帰れるとは思えません。
イスラエル軍はガザ地区の44%を“立ち入り禁止区域“と宣言しているうえ、
軍事侵攻の拡大をすると脅しているからです。

人々への攻撃は熾烈を極めており、死亡者数と恐怖の話が日毎に増えています。
国連機関は147,000人の子どもたちが心理サポートが今すぐに必要な状態にあると見積もっています。
私たち「文化と自由な思考の協会(以下CFTA)」のチームもこの悲劇の影響を受けないわけはありません。
現在、ほとんどのスタッフは自宅に避難してきた人たちを受け入れており、少ない人でも2家族、
私の同僚の幾人かは7家族をも受け入れており、小さな貸家がぎゅうぎゅうになっているのです。

空、陸、そして海からの爆撃が続いているにも関わらず、
多くの人たちが避難所を求めて通りをさまよっています。
もはや私たちの家も彼らを受け入れられる状況ではないのです。

CFTAスタッフはボランティアとして避難所となっている学校に行き、
避難している子どもたちの遊び相手になったり、物資や衛生用品を配ったり、
他の地域で寄付集めをしたりしています。

物資の制限があり、銀行が閉まっていても、CFTAはハンユニスとガザ市で
最低でも一日あたり2500人に食料を配布しています。
7月23日、ハンユニス東の境界に近い村から避難した人が押し寄せてきたときには、
CFTAはマットレスを200以上、衛生用品を300以上配布しました。

とりわけガザの物資は急速になくなっていっているため、
ガザ中の病院や避難所には治療や支援を必要としている多くの人々が現在押し寄せていっています。

封鎖されたガザで暮らすパレスチナ人の命と人権を守るため、
すべての人の課題として、CFTAは今こそ皆さまのご支援をお願いします。
現場で差し迫って必要とされていることを一層支援していくために、
私たちは緊急委員会を発足させ、数日のうちに迅速に介入していく計画を組んでいます。

私自身、たくさんの女性と子どもなど75人が縦6メートル横7メートルの倉庫で
寝ている様子を目の当たりにしました。そこは水もトイレも電気もマットレスもなく、
ただ床と四方の壁と天井だけの部屋でした。
またよその家の玄関前のブロックの上や階段で暮らしている人々も見ました。

私たちは、どれほど急いで着の身着のままで、お金も持たず、
家財の一切を置いて逃げてきたのかというたくさんの話を聞いています。
私たちが活動する地域では、以下のような物資がまったく足りていません。
 衣類、履物
 衛生用品、オムツ
 食料。(小売店の提供できる量が非常に限られており、一律のフードバスケットを
          準備することができないため、クーポンを使って配布しています)
 乳幼児用ミルク
 マットレスと毛布
 心理サポート

「台所にいたときに大きな爆発音が聞こえました。家の中です。戦車は私の家を狙っていたのです。
息子と一緒に逃げなくてはならなかったのに。。。。暗闇の中、私たちは走り続けました。
1週間前の事です。まだ息子が見つかりません。
昨日家を見に戻って、家がぺしゃんこになっているのがわかりました。
息子をガレキの下から見つけようとしましたが、見つかりませんでした。
代わりに他の遺体を、ガレキの中から見つけました。
今は45人の女性や子どもたちと一緒に倉庫の中にいます。
狭く水もトイレも電気もありません。でも私にとってはここが他に比べて安全な場所なのです。
私は夜ここで過ごして、朝になったらまた息子を探し始めようと思います。」
  (ハンユニス東部、アバサン村の近くのザナハ近郊から逃げてきた40代のウンム・ヤーセルさん)

ウンム・ヤーセルさんのような、支援を必要としている人は何千人もおり、
その人たちに少なくとも最低限必要なものを届けることができるよう、皆さまからの支援を必要としています。

イスラエルに押し付けられてきた封鎖と極度に繰り返される暴力の下で
長年にわたって暮らしてきた経験から、CFTAは今回の攻撃によるトラウマを
人々が克服していくのを助ける重要な支援に着手する準備にかかります。
地域の専門家チームによって、子どもと大人にストレスを発散する機会を提供します。
また、残虐な光景を直接見てしまった支援者への支援も提供していきます。
この流血と恐怖の日々の影響を受けた人々の心理サポートを
長期的にフォローアップしていく必要があります。

ガザでは、明日がどうなるのか私たちはわかりません。
しかし、この苦悩は間もなく終わるという希望を持って生きています。

CFTAは皆さまができるどんな支援にも感謝します。
私たちはとても緊急に膨大なニーズに直面しています。
上記のような優先事項に、緊急の支援をお願いいたします。

2014.07.31 | | 2014ガザ

ガザで炊き出し開始! 毎日1000人に

ガザ緊急支援活動を開始!

緊急募金にご協力ください


ガザでは国境から3キロ内側までの地域をイスラエル軍が「立ち入り禁止地域」にしています、
それはガザ面積全体の44%以上におよんでいて、この地域の住民は強制排除され、
数十万人が少しでも安全な場所を求めて逃げ惑っています。
避難所は人で溢れ、道路に寝ている人たちがたくさんいます。
避難所にさえ爆撃があり昨日はたくさんの人が死傷しました。

パレスチナ子どものキャンペーンでは、ガザの非常事態に対して、
現地NGOと一緒に具体的な緊急支援を開始しました。

「アトファルナろう学校」と、聴覚障がい者が運営している「アトファルナ・レストラン」
と一緒に、毎日1000人に対して炊き出しを開始しました。
50円で1人1食分の炊き出しができます。

一人でも多くの人たちに食事や物資を届けるため、緊急募金にご協力をお願いいたします。

※募金先
・郵便振替  00160-7-177367 パレスチナ子どものキャンペーン
・銀行口座  みずほ銀行 高田馬場支店 普通8030448 パレスチナ子どものキャンペーン

※当会のホームページから、クレジットカードでもご寄付いただけます。
http://ccp-ngo.jp/bokin.html

※「アトファルナろう学校」は1992年に当会が地元の人たちと一緒に開校しました。「アトファルナ・レストラン」はろう学校が中心となって2012年10月にオープンしたレストランです。

2014.07.25 | | 2014ガザ

私はまだ生きている (ガザの戦争日記)

ラシャのガザ戦争日記 – 私はまだ生きている

7月21日



戦争が始まって13日目になる今日の午後もこの日記を書く。
地上侵攻がはじまってから48時間以上がたった。
ここ2日間はこの戦争が始まってから最もひどい状況だ。
そして今夜は10秒おきに戦車からの砲撃が聞こえる。
イスラエル軍は「グリーンライン」(イスラエルとガザの境界。1949年の停戦ライン)
から500メートル内側まではまだ来ていないようだ。
しかし遠くから一般市民とその家を砲撃しつづけている。
地上侵攻が始まって以降、死者数は150人から500人までに一気に跳ね上がり、
負傷者は3000人以上に上る。死傷者の数は分刻みで増えているのだ。

今夜もイスラエル軍の攻撃は野放図に続いている。
国境近く、とくにガザ市の東側に住んでいる人々の命が
イスラエル軍の攻撃により次々に失われている。
国際赤十字委員会が必要な地域すべてに救急車や救急隊員を送るのは不可能だ。
激しい砲撃がずっとつづいているから。ガザの東部地区からのSOSに対して、
赤十字の電話は話し中でつながらず、救急車が爆撃のために
その地域に入れない。緊急電話は死者と負傷者の名を告げていて、
道路は血の色で染まっている。その映像や写真をあとになって私は見るだろう。

身元不詳の女性、子ども、高齢者が逃げているシャジャイヤ地区の映像で
ガザの夜が明けた。何百もの家庭がガザ中心部へ、国連の学校へと避難をしている。
その学校施設はすでに飽和状態だ。

彼らは持ち物をすべて残して来ざるを得なかった。
裸足で、叫び、泣きながら逃げてきた。
障がい者や高齢者の車いすを必死に押している人もいた。

シャジャイヤ大量虐殺のある生存者は言う:
「激しい砲撃は大量で断続的だった!とにかく家を出て必死に逃げてきた。
そして走りに走り続けて、、、その時誰かが転んだ!でも振り返ることはできなかった。
とにかく走り続けた。それからもう一人が転んだ、でも私たちは走り続けた。
ガザ市の『安全』といわれる場所にたどり着いた時、最初の50人が12人になっていた。」

アルジャジーラの現場記者はあまりのショックで、中継を続けられなくなってしまった。
医師と看護師はこんな常軌を逸した状態でもプレッシャーと戦いながら懸命に働き続けている。
目の前で起こっていることが本当に信じられない。
もっと信じられないのは国際社会が未だに黙っていること。
国際社会がぐずぐずしているうちに、この惨劇は新たなレベルのカタストロフィーに突入している。

戦いはますます激しさを増している。ハマスの軍事部門である「アル・カセム大隊」によると、
34人以上のイスラエル兵士が殺され、その他多数が負傷し、いくつかの戦車は爆撃されたという。
アル・カセム大隊は、オンライン上に破壊された戦車の画像をいくつも載せている。
イスラエル側は兵士が5人亡くなったと発表している。
イスラエルはすでに国際的に報道されたこと以外は公式に発表しない。
地上侵攻が始まって以降、閃光弾が夜のガザを日中のように照らし続けている。
しかし、私たちの生活は暗闇に支配されている。

みなさん、ガザでの血なまぐさい戦争の一晩の出来事だけでも読んでもらえませんか?
毎日終わりのない暴力が続いている。市民の保護に関する国際条約は犯され続けている。
世界はこれについてどう思っているのだろう?
国際社会は本当にどこへいったのだ?
このガザの状態を理解し、この戦争犯罪を止めるには、人権専門家である必要はない。
ましてやガザの政治を理解する必要もない。
この状況を理解するのに、アラブ人やイスラム教徒である必要もない。
一人の人間であればいい。今ガザで続いている戦争犯罪は、人間性を試しているのだと私は思う。
あなたが一人の人間であるなら、ガザへの行為は大量殺戮・虐殺というのがわかるはずだ。
それでも、「イスラエルの自衛行為」というのだろうか。

2014.07.24 | | 2014ガザ

戦火の中のラマダン ガザ戦争日記

ラシャのガザ戦争日記  

7月17日(地上侵攻開始の前日) 

「戦火の中のラマダン」

こうして書いている間も、イスラエルはガザへの地上からの攻撃準備をしている。
イスラエル軍は砲撃に守られながら国境地帯に進軍を始め、
「有毒な白色ガス」が使われるだろうという報告もある。
幸運にも今日、うちには電気がある。でも、ガザのほとんどの地域は停電し、
暗闇の中の生活が続いている。主要な送電線が切られたからだ。

ハマスから停戦についての発表は何もなかったが、国連とイスラエルが協議し、
人道目的での6時間の一方的停戦が今日実施された。
人々は家の外にでて食べ物や水を買いに行くことができ、
銀行も久しぶりに営業して、給料や貯金を下ろすことができた。
私も家を出て近所を歩いてみた。爆薬のひどいにおいがまだ立ち込めているなか、
何百人もの人々が銀行の前に並んでいた。そして必要なものを買うとみな一目散に家に戻っていた。

イスラエルの攻撃はラマダン月の最中にやってきた。
イスラム教徒にとってもっとも神聖な月で、日中は断食をし、
水も飲まず、喫煙やその他不道徳な行為を慎む。
断食は精神の浄化を意味し、ラマダンは謙虚さと忍耐を示す時なのだ。
しかい、この攻撃で今年のラマダンは特に厳しい。
灼熱の中で日中16時間は飲食を絶っているうえに、
戦争に立ち向かう精神を維持するのは本当に難しいのだ。

膨大な避難者が日没後の食事を学校や避難所でとっている。
医師や看護師、救急隊員は断食中にも働き、
そして病院の廊下や道端で日没後の食事をとり、次の困難な仕事に備えている。
食事のたびに、私たちは爆撃音を聞きながら、神様にお祈りをする。
私たちに力と忍耐力をお与えください、犠牲者の魂を慰め、
負傷者や無力な人達に救いを差し伸べてください、とお願いをしている。

ガザは今も封鎖されている。2007年にハマスがガザを制圧してから、
イスラエルとエジプトがガザを封鎖し続けてきた。
それ以来ガザへの出入域は極度に制限され、
検問所はイスラエルとエジプトの完全な管理下に置かれている。
エジプトもガザ南部のラファ検問所をごく例外的に開けるだけである。
パレスチナ人はガザへの出入りにもイスラエル政府の許可が必要であり、申請しても通常は却下される。
さらにイスラエルは物資のガザへの出入りを完全にコントロールしていて、
食料品、水、医薬品、それに発電に必要な燃料をガザに入れるのはかなり困難だ。
イスラエル海軍はガザ沿岸を封鎖している。
誰もがこの封鎖が続くことは違法であり、「集団懲罰」だと感じている。

今回の攻撃はガザが最悪の経済難の最中に起きた。
先月、分裂してきたファタハ(西岸のパレスチナ自治政府)と
ガザのハマス政府が「統一政府」を宣誓してから、政権運営の問題点が浮き彫りになった。
ガザの5万人にのぼるハマス政府職員の給料はいまだに支払われずにいる。
彼らの給料はここ数ヶ月間も満額は支給されていなかった。
この問題はファタハとハマスの対立に拍車をかけている。
2007年からハマスがガザ内での公共サービスを担ってきたが、
西岸のパレスチナ自治政府(PA)は、自らの政権時代の政府職員16万5千人に対しては、
実際に働いてはいないのに給料を支払っていた。
この停戦時に、給料を銀行から引き落とせたのは、実はこのPA元職員たちだけなのだ。
多くの人たちは知人や親戚からお金を借りて食料や水を買うしかなかった。

今日現在(7月17日)、死者は200人、負傷者は1000人を超えた。
でも戦争は続いている。すぐに終わらせるべきだ。
今日私は外に出て、道行く人の顔を見ていた。
みな青白く、消耗し、不安と悲しみに満ちていた。
友達、家族、そして愛する人々の安全のためなら、私はすべてを失ってもかまわない。

2014.07.23 | | 2014ガザ

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